「明智光秀物語」~流浪の身から立身へ~ 岐阜・可児・花フェスタ記念公園

「明智光秀物語」の続きです。

明智光秀は仕えていた斎藤道三が嫡子義龍との「長良川の戦い」で敗れて、明智荘を追われ、朝倉義景を頼り越前国に逃れたのち、足利義昭と織田信長をつなぎ立身していきます。

明智光秀物語・可児・花フェスタ記念公園

「明智荘を追われ、流浪の身から立身」

「明智氏は代々美濃国守護の土岐氏に仕えていたが、斎藤道三が土岐頼純と争い勝利して美濃国の支配者になったため、道三に従ったとされる。

1542年 天文1年 斎藤道三が美濃国の支配者となる

その後、道三は嫡子の義龍に家督を譲るが、対立して長良川の戦いで戦死。

その際に明智家は中立の立場を取っていたが、義龍に明智城を攻められたため、光秀は越前国に逃れ、大名朝倉義景に出会い使えることになったといわれている。

1556年 弘治2年 光秀が明智荘を追われて越前国の朝倉義景を頼る

そして、都から亡命し朝倉氏を頼ってきた足利義昭と出会い側近となり、

1566年 永禄9年 光秀と足利義昭が出会う

尾張の織田信長が台頭してくると、光秀が義昭に信長側につくよう勧めたと考えられている。

1568年 永禄11年 足利義昭と織田信長をつなぐ

その結果、義昭は信長とともに上洛を果たして室町幕府15代将軍に就任。

光秀はその功績により義昭の家臣となった。」


 

「花フェスタ記念公園」

岐阜県可児市瀬田1584-1

TELL 0574-63-7373

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