「ぎふ金華山ロープウェー山麓駅」の大河ドラマ「麒麟がくる」の斎藤道三の展示の続きです。
前の記事で、「麒麟がくる」のステージに飾られた斎藤道三(本木雅弘)の蝋人形などをご紹介しましたが、
現在は、斎藤道三・織田信長時代の岐阜城の絵図が飾られています。
※ 追記 その後、斎藤道三(本木雅弘)の蝋人形は、ロープウェーで山頂に行き、岐阜城のそばの「岐阜城資料館」に展示されています。
「道三信長の岐阜城」の絵は取り外されていますが、斎藤道三の資料はそのままロープウェー山麓駅に展示されています。
「道三信長の岐阜城」
「道三公生涯絵巻」
道三公の父、京都の妙覚寺に入門し、法蓮房の名で僧侶となる。
道三公の父、還俗して、油問屋の奈良屋又兵衛の油商人となる。
道三公の父、美濃国守護土岐氏の小守護代・長井長弘の家臣となり西村勘九郎と名乗る。
大永5年(1525)土岐頼芸の信任を得た。
長井新左衛門尉(西村勘九郎)は、長井長弘とともに頼芸の兄・頼武と嫡子・頼純を急襲して越前に追いやり、頼芸の守護補任に貢献する。
天文2年(1533)長井長弘氏去。この頃、道三公が父(長井新左衛門尉)の急逝により家督を相続か。藤原(長井)規秀を名乗る。
天文3年(1534)この頃、道三公、長井嫡流家を討ち滅ぼす。
天文4年(1535)長良川大洪水。頼芸、居城を大桑城へ移す。道三公、土岐頼武の息子・頼純を盟主とする越前朝倉、近江六角連合軍と合戦。
天文8年(1539)道三公と頼純、この頃までに和睦。居城稲葉山城の大改修及び井口城下町(現在の岐阜城下)の建築を行う。
天文12年(1543)頼純の居城化が進む大桑城を攻め(大桑城の戦い)、頼純を越前に追放。
天文13年(1544)土岐頼純、越前朝倉氏、尾張織田氏(織田信秀ら)が稲葉山城を攻めるが、反撃し、織田軍を壊滅寸前にまで追い込む(加納口の戦い)。頼純越前へ逃亡。
天文15年(1546)道三公と頼純和睦。頼純、道三の娘婿として大桑城へ戻る。
天文16年(1547)頼純死去。
天文18年(1549)織田信秀と和睦し、平手政秀の尽力により、娘の帰蝶(濃姫)を信秀の嫡子織田信長公に嫁がせる。
天文19年(1550)土岐頼芸を尾張へ追放し、美濃を完全に平定。
天文22年(1553)娘・濃姫の婿・織田信長と聖徳寺にて会見し、信長公の非凡を見抜く。
天文23年(1554)家督を子の義龍へ譲る。
弘治2年(1556)道三公、息子の義龍に攻められ、婿信長公の救援を待たず自害(長良川の戦い)。
「斎藤道三公、親子二代の国盗り絵巻」
「国盗り絵巻の背景と人物相関図」
「道三公の城下町」
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「ぎふ金華山ロープウェー山麓駅」
✿ 戦国・小和田チャンネル
大河ドラマ「麒麟がくる」時代考証担当 静岡大学名誉教授 岐阜市歴史博物館名誉館長
小和田哲男 による
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「ぎふ金華山ロープウェー山麓駅」
岐阜市千畳敷下257番地
TELL 058-262-6784
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