滋賀県大津市坂本の明智光秀一族の菩提寺「西教寺」の続きです。
明智光秀の居城・坂本城の城門を移築された総門から参道を進み、奥の階段を上ると、まっすぐ奥に明智光秀一族と煕子の墓、右に本堂、大本坊、客殿、書院、鐘楼などがあります。
✿明智光秀と一族の墓
✿『坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓
織田信長が元亀2年(1571)9月、坂本、比叡山を中心に近江の国の寺院をはじめ大半を焼き討ちした。
西教寺も全山類焼の厄に遭った。すなわち、元亀の平乱である。その後、再興に尽力したのは信長の将、明智光秀で、浜坂本に坂本城を築城、坂本城主として坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裡)を増築、刻名入りの棟木も現存している。また天正2年(1574)仮本堂を完成し、現在の本尊(阿弥陀如来)を迎えている。
それ以来、光秀との由縁はふかく、元亀4年(1573)2月、光秀が堅田城に拠った本願寺光佐を討った時、戦死者18名の菩提のため、武者、中間のへだてなく供養米を寄進したと言われている。また早逝した内室(煕子)の供養もされ、墓が安置されている。
天正10年(1582)本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れて非業の最期をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと言われている。のちに坂本城の城門の一つも当寺に移されたと伝えられている。
当寺としては光秀の菩提為毎年6月14日に光秀忌を営んでいる。』
✿明智光秀の妻・細川ガラシャの母・煕子の墓
✿『坂本城主・明智光秀の妻 煕子の墓
(光秀の子女、玉子嬢・細川ガラシャの母)
天正4年(1576)11月7日 寂
戒名 福月真裕大姉
作家の中島道子氏の「明智光秀の妻・煕子」という小説序文に次のように煕子夫人のことが書かれている。
人生を旅と心得、旅を求めてやまなかった芭蕉は軍旅に敗死した武将への限りない哀惜を詠んでいる。その中で唯一女性に対する句が異彩を放っている。明智光秀の妻である。
比較的近年まで光秀は逆臣、叛将とのみ言われてきたにもかかわらず、封建体制下の江戸時代にあって、光秀の妻を顕彰したのはまさに自由人芭蕉その人であった。
明智が妻の句は「奥の細道」の旅の途次、越前(福井県)は丸岡に足を止めた折、耳にしたことを後、伊勢の門弟 山田又玄の妻に贈ったものである。
月さびよ 明智が妻の 咄せむ
芭蕉
まさにこの一句に人生観があらわれていると云えよう。』
✿明智光秀の妻・煕子を詠んだ松尾芭蕉の句碑
✿「禅明坊光秀館」芭蕉の句の解説
■ 禅明坊光秀館「麒麟がくる」展(びわ湖大津光秀大博覧会)
2020年3月8日~2021年3月31日まで会期延長
明智光秀(長谷川博己)煕子(木村文乃)等身大パネル・フォトスポット
背景 ドラマで使用された坂本城CG (びわ湖の畔に立つ幻の坂本城)
「大津・雄琴・草津・栗東」のホテル・旅館 おすすめ順 楽天トラベル
◆ 戦国・小和田チャンネル
大河ドラマ「麒麟がくる」時代考証担当 静岡大学名誉教授 岐阜市歴史博物館名誉館長
小和田哲男 による
大河ドラマ「麒麟がくる」の解説動画
「麒麟がくる」光秀の妻「煕子」に関する新史料
第39回「本願寺を叩け」
大河ドラマ 麒麟がくる 完全版 第壱集 DVD BOX [長谷川博己]
<収録内容>
■DISC.1
第1回「光秀、西へ」
第2回「道三の罠(わな)」
第3回「美濃の国」
■DISC.2
第4回「尾張潜入指令」
第5回「伊平次を探せ」
第6回「三好長慶襲撃計画」
第7回「帰蝶の願い」
■DISC.3
第8回「同盟のゆくえ」
第9回「信長の失敗」
第10回「ひとりぼっちの若君」
■DISC.4
第11回「将軍の涙」
第12回「十兵衛の嫁」
第13回「帰蝶のはかりごと」
第14回「聖徳寺の会見」
■DISC.5
第15回「道三、わが父に非ず」
第16回「大きな国」
第17回「長良川の対決」
▽特典映像(予定)
●メイキング
・テーマ曲、オープニング映像
・稲葉山城下オープンセット
・明智荘 光秀の館の庭
●まるごと紹介!大河ドラマ「麒麟がくる」
●「黒子の美学 “麒麟がくる”衣装デザイナー・黒澤和子の仕事」
※収録内容は変更となる場合があります。
大河ドラマ 麒麟がくる 完全版 第弐集 DVD BOX [長谷川博己]
<収録内容>
■DISC6
第18回「越前へ」
第19回「信長を暗殺せよ」
第20回「家康への文」
第21回「決戦!桶狭間」
■DISC7
第22回「京よりの使者」
第23回「義輝、夏の終わりに」
第24回「将軍の器」
■DISC8
第25回「羽運ぶ蟻(あり)」
第26回「三淵の奸計(かんけい)」
第27回「宗久の約束」
▽特典映像
・メイキング 長良川&桶狭間の戦い ほか
※収録内容は変更となる場合があります。
「西教寺」
滋賀県大津市坂本5-13-1
TELL 077-578-0013