『麒麟がくる』明智光秀一族の菩提寺「西教寺」総門(坂本城門)

比叡山のふもと、滋賀県大津市坂本に、明智光秀と一族の菩提寺「西教寺」があります。

西教寺の正式名は、「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺」といい、聖徳太子が高句麗の恩師のために創建したと伝えられています。

西教寺の総門は、坂本城主の明智光秀が坂本城門を移築したもので、昭和59年に修復されています。

 

2020年は、大河ドラマ『麒麟がくる』のイベントが明智光秀ゆかりの地で開催されています。

大津市では「西教寺」はじめ3か所で、「びわ湖大津*光秀大博覧会」が開催中です。

期間は、2020年3月8日~2021年2月7日まで。

詳細は次の記事で

西教寺

『西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聰のために開創された寺で、推古天皇の26年(618)に大窪山の号をたまわり、天智天皇の8年(669)に西教寺の号を下賜されたと伝えられている。

寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧が念佛道場とした。その後、比叡山で修行された真盛上人が文明18年(1486)入寺し、不断念佛の根本道場として、西教寺を再興された。

明治11年(1878)明治政府によって別派独立が公許、「天台宗真盛派」の本山となった。

昭和16年(1941)に天台宗三派合同となったが、終戦とともに、昭和21年(1946)に天台宗三派、延暦寺(山門)三井寺(寺門)西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を「天台真盛宗」と公称して独立、今日に至っている。

この寺標石柱は明治11年(1878)に建立されたものである。』

2020年「西教寺」絵馬

令和2年(2020)庚子の絵馬

西教寺と護猿の由来

『西教寺と護猿(まもりざる)の由来

西教寺の西教寺の御開山真盛上人が善男善女と共に日夜六万遍の念仏を唱え「念仏の功徳」によって民衆を救いました。

それ以後、西教寺のお念仏が栄え、不断念仏の道場として五百有余年絶えることなく今日受け継がれています。

明応2年(1493)西教寺に法難が押し寄せた時手白の猿が念仏の鉦を打ち上人の身代りを勤めて西教寺を護ったと言う有名なお話があります。

上人の御徳が鳥獣にも及んだ事は尊いことです。

それ以後身代りの猿は護猿と言ってあらゆる災難を守ってくれます。又尊い上人の恩徳により護猿の猿として世の親達には縁がござる。福がござると云って親しまれ、猿はさるでも五猿(客ござる)と云って商売繁盛のお守りともされています。

以来ござる(五匹)の猿がお念仏を唱えているおお守りとされています。

西教寺』

沢庵禅師の碑

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沢庵禅師の碑

『沢庵禅師の碑

この碑は江戸時代の禅僧沢庵禅師(1573~1645)が)が慶長19年(1614)5月頃に42歳の時、近江を巡歴し「石山紀行記」という紀行文に書かれている文で、沢庵禅師は京都を出発し石山寺、三井寺を参詣、琵琶湖を船で坂本へ渡り西教寺を訪れている一節である。

西方行者(真盛上人)がこの山に居住されてから称名念仏が日夜絶えることなく静かに続けられている。

周囲の樹木や小鳥も皆な念仏を唱えているようだ。

この山に来てこの世の安住の地(極楽浄土)があるようにという詩である。

静寂地であり、不断念仏道場でもある西教寺からうけた心情をそのままうたいあげている・・』

 


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「西教寺」

滋賀県大津市坂本5-13-1

TELL 077-578-0013

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