「明智光秀物語」~美濃源氏の名門土岐氏の流れ~ 岐阜・可児・花フェスタ記念公園

前の記事の「明智光秀物語」の続きです。

「光秀の軌跡をたどる」コーナーでは、謎多き前半生に焦点を当て、どこで生まれたのか、どのような家系なのかなど、謎に包まれた明智光秀の出生を家系図を用いて解説されています。

明智光秀物語・岐阜・可児

「美濃源治氏の名門 土岐氏の流れを汲む」

土岐氏は平安時代の終わりに土岐郡(瑞浪市、土岐市、多治見市あたり)に源光衡が所領を得て興った一族で、土岐頼貞が足利より初代の美濃守護に任命された。

足利尊氏の親衛隊である奉公衆となった一族など、多くの支族を輩出しており、明智家もその奉公衆の一つ。

南北朝時代初期に、「あけちひこ九郎」の名が記された文書があり、これが明智氏の歴史上の初登場となった。

この彦九郎が彦九郎頼重とされ、土岐頼貞の孫にあたる。

「続群書類従」所収の明智系図によれば、光秀は頼重から数えて10代目に連なる。

 

「斎藤道三の親戚だった?」

明智光継の長女が斎藤道三の側室だったとする資料があり、この婚姻を機として、光継の孫にあたる光秀が道三に仕えたという説もある。



 

「花フェスタ記念公園」

岐阜県可児市瀬田1584-1

TELL 0574-63-7373

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