「明智光秀物語」の続きです。
明智光秀の出生地については、ここ岐阜県可児市の「明智荘」という説が有力ですが、そのほかの土地にも「明智光秀出生の地」と伝わる場所があります。
岐阜県には4か所、滋賀県にも多賀町の1か所がありますが、こちらでは「岐阜県内各地に伝わる光秀出生伝説」が紹介されています。
まず、明智光秀生誕の地として最有力の可児市の「明智荘」。
明智光秀生誕の地として「麒麟がくる ぎふ可児大河ドラマ館」が造られました。
■ 可児市~可児郡御嵩町(旧:明智荘)
「かつて、「明智」と地名の付いた荘園「明智荘」が広がっていた。
明智城(長山城)跡や明智一族の歴代の墓所(天龍寺)などが伝えられていることから生誕の地として最有力。」
次に、やはり明智光秀生誕の地として「麒麟がくる ぎふ恵那大河ドラマ館」が作られた恵那市明智町。
■ 恵那市明智町
「『明智』の地名が残り、明智城跡には光秀の学問所の跡に建てられたという天神神社がある。
また、落合砦には「光秀産湯の井戸」と称する井戸もあり、供養塔がある龍護寺では、毎年「光秀まつり」が開催されている。」
■ 山県市中洞
「土岐美濃守重臣の土岐四郎基頼と山県郡の豪族の娘との間に生まれたとされ、7歳の時に可児の明智城主・明智光綱の養子になったという伝承がある。」
■ 大垣市上石津町多良
「光秀は進士(山岸)信周と明智光綱の妹の間に多羅城で生まれ、光綱の養子となり明智家の家督を継いだとされる。
現在の西高木家陣屋跡は多羅城の推定地の一つ。」
「花フェスタ記念公園」
岐阜県可児市瀬田1584-1
TELL 0574-63-7373