「長篠の戦い」「設楽原の戦い」とも呼ばれる「長篠・設楽原の戦い」は、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)に、織田信長30000人・徳川家康8000人の連合軍38000人と武田(勝頼)軍 約15000人が戦った合戦です。
2020年の明智光秀(長谷川博己)が主人公の大河ドラマ「麒麟がくる」では、あまり描かれませんでしたが、
2023年の徳川家康(松本潤)が主人公の大河ドラマ「どうする家康」では、
第22回「設楽原の戦い」で、織田信長(岡田准一)と徳川家康(松本潤)の連合軍が馬防柵や3000丁もの鉄砲を用いて、武田勝頼(眞栄田郷敦)率いる武田軍に圧勝する合戦の様子が詳細に描かれました。
この「長篠・設楽原の戦い」の織田信長の戦地本陣跡が、愛知県新城市の新東名高速道路「長篠設楽原パーキングエリア」(下り・名古屋方面)にあります。
長篠設楽原パーキングエリアの建物の左横にテーブルとベンチが並べられていますが、その先の小高い丘のように見える茶臼山、山頂が織田信長の戦地本陣跡です。
階段を上がって簡単に登れるので、写真も撮ってきたのですが、残念ながらその写真が見当たらず。
「どうする家康」の番組の最後の紀行で、愛知県新城市の「設楽原古戦場」や「織田信長戦地本陣跡」が紹介されましたね。
「どうする家康」で石川数正を演じる松重豊さんのナレーションによると、徳川家康は織田信長の本陣から少し前方の八剱山と呼ばれる場所に陣を構えたそうです。(八剱山の八剱神社)
ベンチのある場所から「設楽原古戦場」を見下ろした景色ですが、徳川家康の本陣は左端の織田信長の本陣のある茶臼山にちょうど隠れて見えないようです。
長篠設楽原パーキングエリア(下り)
甲冑が展示されています。
「長篠・設楽原の戦い」の資料や火縄銃なども展示されています。
■長篠の戦い
「1575年 設楽原における武田信玄の後継者・武田頼勝と織田信長、徳川家康の連合軍との戦い。連合軍は、多量の鉄砲を用いて大勝利を得た。勝利した信長は、天下統一に大きく近づいた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が馬防柵を設け、新兵器の鉄砲を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から、足軽の鉄砲隊を中心とする集団先方へ移行する画期的変化をもたらした。」
■ 長篠合戦図屏風
「長篠・設楽原の戦いの様子を描いた屏風。
屏風右方には長篠城があります。
設楽原の中央を流れる連吾川を挟み、右側に武田軍、左側に織田・徳川連合軍が布陣。武田軍中央の「大」の軍旗下に武田勝頼、連合軍中央の「五」の背旗近くに徳川家康がいます。
ここ長篠設楽原PAは屏風左上のあたりで、近くに織田信長が描かれています。
公益財団法人 犬山城白帝文庫 所蔵」
■ 火縄銃・艦載砲
「戦国の流れを変えた戦い
ー 長篠・設楽原の戦い ー
天正3年(1575)5月、甲斐国(山梨県)の武田勝頼が15,000人の兵を率い、徳川家康が治める三河国の長篠城を取り囲みました。
存亡の危機に立たされた家康は織田信長に援軍を依頼。
信長は30,000人の兵を引き連れ、徳川軍8,000人と合流しました。
この時、信長は3,000挺の火縄銃を用意し、設楽原に到着すると馬防柵を連吾川沿いに作り始めました。
一方、連合軍との決戦に挑むため、勝頼は長篠城の囲みを解き、設楽原に軍を進めました。
21日の早朝、徳川軍による鳶ヶ巣山への奇襲攻撃によって設楽原決戦の火蓋が切られました。
背後を襲われた武田軍は連合軍に向かって突撃を始めました。
連合軍は火縄銃で武田軍に応戦。馬防柵に行く手を阻まれ、火縄銃の前に次々倒れる武田軍。
両軍合わせて15,000人もの戦没者を出したといわれています。」
■ 奥三河の奥平信昌公・亀姫様(徳川家康の長女)御夫婦座像
「どうする家康」では、奥平信昌(白洲迅)、亀姫(當真あみ)
「この夫婦の座像は、長篠の戦で名を馳せた戦国武将・奥平信昌公とその奥方・亀姫様です。
奥平信昌公は、弘治元年(1555年)、現在の愛知県新城市作手に生まれました。天正三年、徳川方として長篠城を守っていた信昌公は、三河に侵攻した甲斐の武田勝頼軍一万五千に攻められますが、わずか五百名たらずの手勢で籠城し、これを守りぬき、信長公や家康公からその戦功を大いに讃えられました。
長篠合戦では火縄銃の活躍が象徴的ですが、信昌公の籠城戦こそが、織田徳川連合軍の勝利の糸口となったことはまぎれもありません。
亀姫様は永禄三年(1560年)、徳川家康の長女として駿府に生まれました。長篠合戦の翌年、天正四年の信昌公のもとへ嫁ぎ、その後四男一女を授かりました。徳川二代将軍・秀忠、三大将軍家光の姉にもあたるため、晩年は(加納大夫人)と尊称され、将軍家の威光を後ろ盾として威勢を誇ったと伝えられます。
この夫婦座像は、新城市ご出身で<夢堂>を号した陶塑工芸家・加藤昭吾氏(故人)による作品です。郷土の歴史や、その土地に息づいた人々を識り、学び、愛おしむ。その機会を提供するのまちおこしの貢献になるおこしの貢献になる。そんな想いから、夢堂氏はこの座像を制作をされました。豪壮な面持ちの信昌公からは、戦国の華々しい舞台となった三河の山々の雄々しさを感じます。また亀姫様の笑顔はとても柔和で、まるで新城の野を吹き渡るのびやかな風のようです。新城市民の誇りでもあるお二人、その仲睦まじい姿は、ここ長篠・設楽原古戦場の場所から、歴史と自然豊かなふるさとのあゆみをやさしく見守りつづけます。」
※ 長篠設楽原パーキングエリアには、戦国武将の騎馬像フィギュア・兜・刀・Tシャツ・ストラップなど、戦国武将の色々なグッズやお土産がたくさんありますので、楽天市場やAmazonで購入できる戦国武将グッズと合わせて後の記事でご紹介しますね。
📼 YouTube「長篠の戦いの真相」レキショック
「長篠設楽原パーキングエリア」(下り)
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